...... 2003年 3月 07日 の日記 ......
■[ NO. 298 ] 曇りのち雨
赤と黒
『グリーンマインド』はダイナソーJrが92年(頃?)に発表した名盤中の名盤で、その「グリーン」がJマスキスにとってどんな意味を持っていたのかは未だに確証を得ないところだけど、僕も随分と長い間グリーンの中に居たように思う。

僕にとってのグリーン。それは植物のグリーンであり、転じてもの言わぬ存在の象徴としてのグリーンであり、更に転じてその象徴と同化したいと願う心の状態であったと思う。

思うに、かつての僕は、自己を主張することなく、あたかも風景と同化するように存在したいと願っていたんではないじゃろか?


実際、大概の選ぶものがグリーンだった。

ただその中で、相棒のGretschだけは、赤だった。
別にブランキージェットシティーが好きだった訳じゃないのにね。


そして2年前、赤い靴を2足手に入れた。
足下から燃えるような感覚が、欲しかった。
落ち込んでうつむいたときに、
力強い赤が目に飛び込んで来て欲しかった。
結局、物言わぬ存在として生きるには早すぎたんだと思う。

赤いPHSを手に入れた。

赤いTシャツを手に入れた。

赤いセーターを手に入れた。

赤い布を手に入れた。


今では随分と赤だらけだ。
「やっぱりシャア・アズナブルがかっこいいよ」
とか、
「ルパンのジャケットは赤じゃなくっちゃ」
とか言い出しかねないくらいまっ赤っか。トホホ。


まあでも、いいんじゃない?
結局癒し系じゃないし、
もの言いたくない訳じゃないし。

というわけで、このページもすっかりまっ赤っか。
近々サイトもまっ赤っか(時間があればね)。

マッカッカッカ空の雲。
あなたの心もまっ赤っか。
ギンギンギラギラ陽が沈む。

ゲホゲホッ!!
んなこたどうでもいいけど、風邪だけは治さねば!!
ファックォオッフ!!


...... 2003年 3月 19日 の日記 ......
■[ NO. 299 ] ぴーかん
何が自由だ!
『米CNNテレビは18日、米政府が19日夜にも開戦が予想される今回の対イラク戦争を、「イラクの自由」作戦(Operation Iraqi Freedom)と命名すると伝えた。91年の湾岸戦争は「砂漠の嵐」作戦と名付けられていた。』

呆れてものが言えない。
ただただ悲しい。

っていうか、こんな国に住んでいる価値は無いな。
ただただ恥ずかしい。


...... 2003年 3月 28日 の日記 ......
■[ NO. 300 ] 曇り
会社で大泣き
アサヒ・コムに掲載されていたアメリカ在住の13歳少女の反戦スピーチ。
「破壊されるのは私みたいな子供」

少女の反戦演説に世界中からメールで反響

リンクが外れてしまうのもイヤだから、無断転載しちゃう。

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「イラクの子どもたちはどうなるの?」

 イラク爆撃というと、何を思い浮かべますか。軍服を着たサダム・フセイン、あるいは銃を持つ口ひげの戦士たち、それともアル・ラシッドホテルのロビーの床に「犯罪者」という言葉と一緒に描かれたジョージ・ブッシュ元大統領のモザイクでしょうか。

 でも、考えてみて下さい。イラクの2400万人の国民の半分が15歳より下の子どもなんです。1200万人の子どもです。私みたいな。私はもうすぐ13歳になります。だから、私より少し大きいか、もっと小さな子どもたちです。女の子じゃなくて男の子かもしれないし、髪の毛の色も赤毛じゃなくって茶色いかもしれないけれど、とにかく私みたいな子どもたちです。だから、私のことを見て下さい。よく見て下さいね。イラクを攻撃するときに考えなきゃいけないことが分かるはずです。みんなが破壊しようとしているのは、私みたいな子どものことなんです。

 もし、運が良かったら、一瞬で死ねるでしょう。91年の2月16日にバグダッドの防空壕(ごう)で「スマート(高性能)」爆弾に殺された300人の子どもみたいに。そこでは、爆風による激しい火で、子どもと母親の影が壁に焼き付けられてしまいました。

そんなに運が良くなければ、じわじわと死んでいくのでしょう。ちょうど今、バグダッドの子ども病院の「死の病棟」で苦しんでいる14歳のアリ・ファイサルみたいに。アリは湾岸戦争のミサイルで劣化ウランによる悪性リンパ腫ができ、がんになったのです。

 もしかしたら、痛みにあえぎながら死んでいくかもしれません。寄生虫に大事な臓器を食われた18カ月のムスタファみたいに。信じられないことですが、ムスタファは25ドル程度の薬で完全に治ったかもしれなかったのに、制裁で薬がなかったんです。

 死ななかったとしても、外からは見えない心理的な打撃に悩みながら生き続けるかもしれません。91年にイラクが爆撃されたとき、小さな妹たちと一緒にやっと生き延びた恐怖を忘れられないサルマン・ムハンマドみたいに。サルマンのお父さんは家族みんなを同じ部屋で寝させました。そうすれば一緒に生き残れるか、一緒に死ねると思ったからです。サルマンはいまだに空襲警報の悪夢を見るのです。

 アリみたいに独りぼっちになるかもしれません。アリは湾岸戦争でお父さんが殺されたとき3歳でした。アリは3年間毎日お父さんの墓を掘り返しました。「大丈夫だよ、お父さん。もう出られるよ。ここにお父さんを閉じこめたやつはいなくなったんだよ」って叫びながら。でもアリ、違うの。そいつらが戻ってきたみたいなんです。

 ルアイ・マジェドみたいに何の傷も負わなくてすむかもしれません。ルアイは、湾岸戦争のおかげで学校に行かなくてもよかったし、好きなだけ夜更かしできたと言います。でも、教育が受けられなかった彼は今、路上で新聞を売ってやっとなんとか生きています。

 これが自分たちの子どもたちだったらどうしますか。めいだったら? おいだったら? 近所の人だったら? 子どもたちが手足を切られて苦しんで叫んでいるのに、痛みを和らげることも何もできないことを想像してみて下さい。娘が崩壊したビルのがれきの下から叫んでいるのに、手が届かなかったらどうしますか。自分の子どもが、目の前で死ぬ親を見た後、おなかをすかせて独りぼっちで道をさまよっていたらどうしますか。

 これは冒険映画でも、空想物語でも、テレビゲームでもありません。これが、イラクの子どもたちの現実なのです。最近、国際的な研究者の一団がイラクに行って、戦争が近づいていることが、向こうの子どもたちにどう影響しているかを調査してきました。

 彼らが話した子どもたちの半分が、これ以上何のために生きるのか分からないと語っていました。本当に小さい子どもたちでさえ、戦争のことを知っていて、心配していました。5歳のアセムは「銃や爆弾がいっぱい来て、お空が冷たくなったり熱くなったりして、みんないっぱい焼けちゃうんだよ」と言いました。10歳のアエサルは、ブッシュ大統領に「たくさんのイラクの子どもたちが死にます。それをテレビで見たらきっと後悔する」と知ってほしい、と言っていました。

 こちらの小学校のことを話します。私は、人とけんかをしたときには、たたいたり悪口を言ったりするんじゃなくて、「自分がどう思うのか伝えなさい」と教えられました。相手の身になったらどう感じるのか、理解してもらうのです。そうすれば、その人たちはあなたの言うことが分かって、やめるようになります。

 いつものように私は、どう感じるか伝えたいと思います。ただし、「私」ではなく、「私たち」として。悪いことが起きるのをどうしようもなくただ待っているイラクの子どもたちとして。何一つ自分たちで決めることはできないのに、その結果はすべて背負わなければならない子どもたちとして。声が小さすぎて、遠すぎて届かない子どもたちとして。

 私たちは、明日も生きられるか分からないと考えるとこわいです。

 殺されたり、傷つけられたり、将来を盗まれると思うと悔しいです。

 いつもそばにいてくれるお父さんとお母さんがほしいだけなんです。

 そして、最後に。私たち、何か悪いことをしたでしょうか。わけが分からなくなってるんです。

 (文中の数字などは原文のまま) (03/27 18:34)
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