...... 2002年 12月 01日 の日記 ......
■[ NO. 285 ] 曇り
明日は誕生日なんだなあ
どうせ時間も無くて普通の日と同じようにあっという間に過ぎてしまうんだろうから、ズザザッとプレゼントフォーミー。

iPod買っちゃった(汗;)。

いや、これ凄いね。
朝起きてその日聴くCDを1枚だけ選ぶ楽しみも捨てがたいけど、ライフスタイルが変わる気がします。なんだか。


でも、今日の稽古で使ったらフリーズしやがったよ。
濃いー汗が出た。


ふと現実逃避気味に、昨年の誕生日はどんなんだったんかなー? って思い返して記録を読んだら、トランスについて書いていた。

ふぅむ。今年の誕生プレゼントが芝居の公演だとしたら、やっぱりつながってるんだろうなー。トランス。

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【trance】
(1)催眠やヒステリーなどの場合にみられる,常態とは異なった精神状態。宗教的儀礼の忘我・恍惚(こうこつ)の状態にもいう。
(2)ダンス-ミュージックの一で,テクノのうちサイケデリック(幻覚的)なサウンドを持つもの。
※大辞林第二版からの検索結果
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中島らも氏の『アマニタ・パンセリナ』を楽しく読んだが、中で述べられていた「人が忘我を求めるのは、ただそれが"気持ちいいから"だ」という、氏の意見に賛成だ。

でも、薬物とかアルコールで自失するのは余り好きではない(高校時代から記憶をぶっ飛ばすのが癖になってしまっている身だけど)。

できることなら、意識がある状態で恍惚に到達できる音楽や純愛やSEXや登山(笑)を大切にしていたいな、なんて思った。


ともかく、今週で全てに片が付く。もうひとふんばりだ。


...... 2002年 12月 14日 の日記 ......
■[ NO. 286 ] 曇り
開座
という劇団の公演を観た@中野テレプシコール。
中野テレプシコールは初めて訪れる場所。
フライヤーを見ると、舞踊・舞踏系の劇場だということが分かる。

天井桟敷系のアングラ芝居を観るのは初めてではない。
ずっと昔、六本木辺りで白塗りにされた女の子が吊されていた芝居を観たことがある。
今ではそれがどんな芝居だったのか、全く思い出せないけど。


アングラ系自体、ビジュアルと音に頼る部分が大きいと思うのだけど、音はまあ実際ひどかった。
この芝居のせいで、アコースティックギターに対する嫌悪感が強くなってしまった位だ。

どだい、日本仏教密教神がかり的イタコ状態@つげ義春的熱海別府秘宝館みたいな空気と場所を表現するのはアコースティックギターではないはずだ。ましてや、3コードやら、ツェッペリン「天国への階段」なんてもってのほかだ。反吐が出る。


でも、僕ならこうする、ああする的なシミュレートは出来たし、
衣装&役者は悪くなかった。
単純に勉強になったし、今後ああいうアプローチから攻めるのも悪くないな、と思った。


...... 2002年 12月 15日 の日記 ......
■[ NO. 287 ] ぴーかん
お帰りなさい、ただいま。
さてさて。お帰りなさい。ただいま、オレ。
(相米慎二監督の『台風クラブ』のシーンを思い出す)
お帰りなさい、ただいま、オレ。
リピート。
お帰りなさい、ただいま、オレ。


今回は随分と深いところまで潜ってきた。
前回の潜行深度が6メートルだとしたら、
今回の深度は10倍の60メートルというところだ。
ジャック・マイヨールは120メートルだから、
もしかしたら超人の半分のところまで潜ったのかもしれない。
(そんなわきゃないが)

これはあくまでも精神状態(集中状態)の例えであって、実際に僕がサムイ島(熱海でもいいが)でダイビングをしてきた訳ではない。
芝居の音響の例え話だ。
実際問題、7月からの約5ヶ月間を音響に費やしてきたのだから、その潜航時間たるや、結構なもんになる。
しかしまあ、演出家さんに至っては1年半以上温めてきた作品だった訳だから、単純に僕の潜航時間の4倍近くになる。いやはや、頭が下がる。


…まあ、そんな言葉遊びはどうでもいいや。
ともかく、日常っていう散漫で茫洋な圧力の軽さで身体が爆発してしまうのを防ぐために、ゆっくりゆっくり上昇しているのです。

アルコールの力を借りながら。
小説の力を借りながら。
睡眠の力を借りながら。
夢の力を借りながら。
もちろん、音楽の力を借りながら。


久しぶりに村上春樹を読んだ。そして、今日は随分と眠った。
(「スプートニクの恋人」。彼の「国境の南、太陽の西」とほぼ同じ構造・構成という印象だ。特に新しいものはない)
おまけに昼寝までした。
何にも煩わされない昼寝なんて! ビバ昼寝!
夢の作用で、様々な記憶の断片が様々な引き出しにしまい込まれていく。
(それがあえて断片化を促しているのは気のせいだろうか? ノートンの機能とは反対に。色、温度、湿度、空気、匂い、触感、構造、文脈…etc。脳の機能が自己防衛を根本としているならば、そうした細分化こそが精神の安定を促すのだろう。)

夕方に目覚め、ボソボソと銭湯に向かう。
番台のおばあさんの優しい微笑みに迎えられ、何と貸し切り風呂を堪能。

無性にカレーが食べたくなったので『リトル・スパイス』へ。
「エビときのこのカレー」を食べたのだが、これまた絶品。
置いてあった「カレーの神様」という本に『リトル・スパイス』が紹介されていたのだけど、女主人のお父さんが食道楽の人だったそうだ。それで舌が肥えたと。まあ世の中そんなもんですよね。子どもの頃の感動の記憶が生きていくためのモチベーション。

同じ本に武蔵小金井の『プーさん』が載っていた。
『プーさん』のカレーまた食いてーなー。
『プーさん』『TARA』『なにや』『椿』『あかぎ』『うな太郎』『一乃屋』『あなぐら』『串串』…僕の舌は国分寺&武蔵小金井で出来ている。

『リトル・スパイス』を出て『ビレッジ・ヴァンガード』へ。
「久生十蘭集」を買おうと思ったのだけど、品切れ。
大槻ケンジを3冊購入した。

そして今、ヒートウェイブが大音量で流れる『酔舎』で、こいつを書いている。
ヒートウェイブはラジカセで聴いても何とも思わないが、この店で聴くと凄みを増す。山口洋のギターはあくまでも鋭角的で、ヴォーカルはライブほどの嫌味が無い(失礼)。いや、実際いいもんだ。


だらだらとモノを書くことで、客観的に自分の現状を確認する。
手触りを確かめる、体温を確かめる。
現在地。
29年間使い続けた僕の身体(ボディー)はどうだ?
29年間使い続けた僕の心(マインド)はどうだ?
29年間使い続けた僕の精神(スピリット)はどうだ?

オーケイ。それほど悪くはない。
さあ、次なる場所へ乗り込もうか。


...... 2002年 12月 25日 の日記 ......
■[ NO. 288 ] 曇り
ディジュリドゥ
クリスマス。奇跡は起こるのか?


ともかく、昨日から今日へ続くわずかな時間に、すごく不思議なことがあった。


昨日は、前回の公演でご一緒したLighting Designerの雑賀さんが担当する『麗蘭』のライブに招待されて、渋谷AXまで出かけた。

バックステージパスを貰うのなんて何年ぶりだろう? なんて思いながら、楽屋口を抜ける。ピンスポブースか客席スタンディングのどちらかで観て、っていう話だったが、客席スタンディングで観ることになった。

僕が麗市さんを知ったのは、RCサクセションのギタリストとしてではなく、ソロアルバムだった。高校の頃、恐らく清志郎さんがタイマーズを始めた頃だったと思う。

ライブが始まるまで、そのアルバムタイトルが何だったか全く思い出せなかったのだが、麗市さんがステージ上に現れて「はーい」と声を出した瞬間に思い出した。

それは『絵』というタイトルだった。
「ホームタウン」のブルージーな響きから始まり「潮騒」で幕を閉じるそのアルバムは、青森県の片田舎に住んでいた僕にとって、妙にリアルに『東京』を感じさせる作品だった。

「スケッチ '89・夏」で歌われるフレーズ
"車は今 調布インターチェンジにさしかかったところさ"
を聴きながら、車に乗れもしなかった当時の僕(高校1年生?)は、まだ見ぬ武蔵野の夕空の中を物憂げに走っている気分になったものだ。

そんな思い出につながっている麗市さんのユニット麗蘭を、この歳のクリスマスイヴに観ることになるなんて、全く不思議なもんである。


ライブは、実にグレートな3時間30分だった!
麗市さんのレイドバックしたギター、もとい存在が会場を支配し、蘭丸の正確かつアグレッシヴなカッティングが秒針を刻む。

これで、52歳である。
尊敬してしまう。


そして、雑賀さんの作り出す光の美しさったら!
一番好きだったのは天井から降る強烈な赤に、フロントから黄色を当てたものだった。
シンプルで、強烈で。
麗蘭という存在をよくとらえていたと思う。

しかし、"影を作り出すマエストロ"雑賀さんの真骨頂はアンコール最後で現れる。
クリスマス・イヴの夜、ショウの最後の最後、突如として麗蘭の背後に美しい星空が広がったのだ。
加えて、雪と見まごうばかりのミラーボールの白い光が降り注ぐ。
会場のみならず、麗市さんまでもが喜んだ「雑賀マジック」だった。

ショウが終わり、レノンの「Happy Christmas」が大音量で流れる中、興奮さめやらぬ様子でその星空と雪を見上げる人たち。
それは何だかとってもロマンティックで素敵な「絵」だった。

雑賀さんはタバコを吸いながら、
「アンコールは第二部で、別世界よ」
と、いたずらっ子のようにニヤッと笑う。

ホンモノ中のホンモノだ。



僕と友人は、嫉妬とも憧憬とも付かない感情を抱きながら、夜の渋谷を歩き出した。

その後、驚きが訪れる。


西武前に、アンプを通して口琴を鳴らしている一人の男がいた。
目が合う。
僕は引き付けられるように足を止めた。
彼は、おもむろに竹で出来たディジュリドゥを持ち出し、吹き始めた。
加えて、両足で挟んだ2つの太鼓をもの凄いテクニックで叩き出した。

 !

僕の中に戦慄が走った。
もしかしたらこの人は、僕が芝居で使った音を作った「GOROさん」本人ではないか?、と。
僕は、僕の音響がある程度評価されたのも(結果として、雑賀さんからライブの招待を受けたのも)、実はGOROさんの曲を使ったことが大きいのではないかと考えていた。

そう思うと、名前を確かめたくて矢も楯もたまらなくなった。
目の前に広げられていた自主制作盤と思われるCDに手を伸ばす。

果たして、インドの雑踏の中でディジュリドゥを吹いている一人の日本人の横に「GORO」の文字は、あった。

「ありえない」
「ありえない」
「ありえない」

頭の中で理性が連呼するも、これはもう、まな板の鯉。
多勢に無勢、やすしきよしだ。

目眩を覚えながら、それでも夢中で、芝居でhealing asia vol.1を使ったことと、そのお礼を述べた。
「芝居も大変だよね。僕も舞台で演奏したことあるよ」
限りなく透明に澄んだ瞳をしたGOROさんが気さくに話してくれた。

ここでウッチャリ。

「じゃ今度お願いするってのは有りですかね?」
ぅわちゃあ、何言ってんだオレ(泣)。つうか、何様だ?オレ。

「え?いいよ。ジャケットの裏にメールアドレスあるから送ってよ」
「!」
なんて気さくでいい人なんだ、GOROさん!
「分かりました!ありがとうございます!!」
CDを買いながら握手をするオレ。

GOROさんの手はやわらかく、温かだった。



芝居で一番感銘を受けた人の仕事を見た後に、
芝居の音を決定付けた人に出会う。



時計は24時を回り、クリスマスになっていた。
子どもの頃、寝ぼけまなこで見た、誰かが枕元にそっとプレゼントを置いていく風景。その誰かの顔はハッキリとは分からないが、とてもよく知っている誰かだという感覚。
とても強いものに守られている、という感覚。
胎児の記憶。

そんなことを思いながら、もそもそと道を歩いた。


僕は一体どこに行こうとしてるんだろうか?


とにもかくにも、メリー・クリスマス&ハッピー・ニューイヤー、である。


ちなみに西武前は、前々回公演のテーマとして使ったPhatのフライヤーで使われていた場所である。いやはや。


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