昨日の夜中、吉祥寺は深く濃い霧に包まれていた。電車から降りた僕の目に飛び込んできたのは、いつもとは全く違った風景。レースのカーテンを一枚隔てた向こうで、スケボーを楽しむいつもの連中。信号の色は薄くにじんでカキ氷のシロップを思わせる。休日は人でごったがえすサンロードは黄泉の国への一本道だ。
匂いをかいでみる。うっすらと水の匂いがした。
僕が冬が好きな理由は色々あるけれど、気候について言えば、空気が澄んでいるのと、雪が降ってくれることの2つがある。特に、雪がいい。白く被い尽くしてくれることで、見えなくていいもんが見えなくなる。そこから、町と町の境、県と県の境、国と国の境、そんな色んな境界線を消してくれるイメージが広がっていく。それは何だかとてもホッとする感覚なのだ。
そんな気持ちで、家の中でヌクヌクしてるのがいい。
僕はとっても寒がりで、もう3週間も前からモモヒキをはいている。上半身だって、西友で買った肌着をしっかり着込んでいる。今日なんて、真っ白なモモヒキだ。街でいい女に出会って、その人のマフラーか何かが僕の目の前で風に飛ばされて、よしんば僕がそれをうまくキャッチして、じゃ、お礼にお茶なんてどうですか、なんて言われて、気が付いたらアルコールも入っていて、いい気分になってホテルまで行けたとしても、ズボンとモモヒキを一気に脱げるかどうか自信がないから、私、今日はちょっとダメなんで、なんて捨てゼリフを残してとっとと逃げ帰るってな具合だ。初対面の女性に、真っ白なモモヒキ姿を堂々と見せられるほど、僕は突き抜けていません。
冬は人肌恋しいなんて言うけど、モモヒキはいてりゃいいじゃん、そんな気もしてしまう今日この頃だ。
とはいえ、吉祥寺は深い霧の中に包まれていた。ひょっとしたら、霧の向こうのほんの5メートル先に、戦渦の中のアフガンがあるかもしれないし、逮捕された野村サチヨが鼻クソほじりながら寝転んでるかもしれないし、緒川たまきが「私が悪かったの」なんて言いながら上目遣いで結婚を申し込んでくるかもしれない。そんなことをボーッと思いながらふと周りを見渡すと、辺りには何やら無数の塔らしいものが立っている。そしてその後ろで揺らめく影。僕はただならぬ雰囲気を感じて、そっと息を押し殺し、物陰に隠れた。ウォークマンをストップし、じっと耳を澄ませてみる。すると、遠くの方から聞き覚えのあるギターのフレーズが聞こえてきた。
♪ sometihng in the rain she knows…
少しかすれた声、抑揚を押し殺した歌い方。僕はハッとした。そして、その声は影と一緒になって僕の方にどんどん近づいてくる。怖がる必要はない、流れに身をまかせるんだ(♪turn off your mind and relax and fall down stream,it is not dying,it is not dying…)。僕の中で声が聞こえた。
目の前に現れたのはまぎれもなく、ジョージ・ハリスンだった。
彼はいつものように澄んだ瞳を潤ませながらギターを抱えて、「something」を歌っていた。その後ろには毛皮に身を包んだジョン・レノンが付き添っている。よく見るとジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリクス、ブライアン・ジョーンズも列にいる。
それは、音楽の神たちの行列だった。
僕も列に加わり、一緒になって歌った。7色の光、心地よいメロディー、極上のハーモニーに包まれる。いつしかボリュームは大きくなり、BEATLESの名曲「A Day In The Life」のエンディングのように、ピアノの音で唐突に終わりを告げた。行列は一瞬にして消え去り、あれほど濃密に立ち込めていた霧もかき消えた。
そこは、僕のアパートにほど近い墓場だった。
僕は狐につままれたような気分になって狼狽した。現実と非現実の境界が見えなくなっていた。その時にふと、10日ほど前にこの辺りでタヌキの親子を見かけたことを思い出した。僕とその親子は5分ほど立ち尽くして見詰め合っていたんだっけ…。突然、おかしな気分になって、クスクス笑いと一緒に幸せな感覚がこみ上げてきた。僕は無数の墓に向かって合掌して、「My Sweet Road」を歌いながら、ゆっくりとした足取りで家路についた。
2001/12/04に逝去された、ジョージ・ハリスン氏のご冥福を心からお祈りいたします。 |
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