...... 2001年 05月 01日 の日記 ......
■[ NO. 48 ] 曇り
もようがへ
部屋の状態は、その住人の心の状態を表すと言われる。まあこれは、几帳面な人にしか当てはまらないのかもしれないんだけどね。普段はきれい好きなのに、散らかってんのは、心が乱れた状態、みたいな風に。まあズボラな人にだって、片づいた状態とそうでない状態はあるだろうから、一概に几帳面な人だけに当てはまるっては言えないけど、几帳面な人の方がその状態が分かりやすいってことで。

さて、僕は割と几帳面な方である。とは言っても、強制的に几帳面に育てられたというか。本当に本当の自分はかなりズボラなはずなんだけど、もう洗脳済み。取り返しはつかず。そんでもって、僕の部屋はかなり前から散らかり放題である。雑誌だのCDだのフライヤーだの陰毛だのが散乱しまくりである。昔の僕を知ってる人が見たら、確実に驚くだろーね、これ。オマエどうしたんだ?って。掃除だってかなりしていない。お食事中の人のため、あえて期間は書かないけどね。そして、上の例を持ち出すまでもなく、僕はここんとこずっと、何だか大分、精神不安定なんである。ぷふう。

そして。テンパリ切った僕は昨日から一念発起して、片づけを始めている。しかもテンパリ切ってるので、部屋の模様替えまで始めてしまった(笑)。新星堂バイト時代からずっと使ってた段ボール紙でできたCDラックを捨てた(って、5年も使ったのか?オレはアホか?)。ゴミ捨て場から拾ってきたCDラックも捨てた。そのせいで部屋の中にはピサの斜塔ばりに傾いたCDの山がいくつも出来てて非常に危険なんだけど。本棚も移動。テーブルも押入に収納。何だか過去の自分と決別できているようで何だか嬉しい。

……思うに、模様替えってのは何かを暗示してるんだよね。現状を変えたい自分が居るというか。変えようとしているんだけれども、何も糸口が見つからないから、部屋を変えてみるというような、つまるところ代償行為。僕のこの模様替えのクセはほんと小学校時代から続いていて、何かに行き詰まってる時、ふと気が付くと模様替えを始めてたりする。それが高じて2年おきに引越を続けてるんだろうけれどね。

はて?僕は何を変えたいんでしょうか?仕事?生き方? ??? ふう。模様替えが終わるまでに分かればいいんだけれどね。あさってにはエレクタも来るし。仕事がしやすい環境になればいいなあっと。


...... 2001年 05月 02日 の日記 ......
■[ NO. 49 ] 曇り
Yuubemo Modaeta Osumosan
さて、近頃何故かずーっとYMOを聴いている。というか、ある意味初めてYMOを聴いている。きっかけとしては、雑誌のCDレビューで取り上げるってのがあるんだけど、それにしてもこんなに聴かなくてもいいんじゃないかって位聴いている。

YMO。彼らとの出会いは小学校時代に遡る。当時の僕は「ライディーン」とか「テクノポリス」があまり好きになれなくて敬遠してたんだけど、「君に胸キュン」で一気に好きになった(まあ子供だしね)。その前後にNHKの「青年の主張」(しかしスゴイタイトルだな)のテーマソングに「以心伝心」が使われてて、これも僕のやわらかな心をグワシッとワシづかんだんである。いや、ほんとに毎日のように口ずさんでた記憶がある。「ピカピカの靴をぬ〜いで〜タバコをけ・しぃ〜て〜」なんつう風に幸宏さんの歌をマネしてたんである。

そしてそんな僕とYMOの蜜月は唐突に終わりを告げる。いきなり「散開」である。僕はその散開ライブの中継をテレビにかじりついて必死に目に焼き付けようとしていたんだけど、折悪く、ばあちゃんちに行ってる最中で、ライブ中継が始まった直後におじちゃんに「こんなん見なくてもいっしょ」の一言と共に「大相撲中継」に切り替えられてしまったんである。「どわっ、なにすんじゃーっ!!」と心で叫んだが何も出来ず。泣く泣くデブの絡み合いを見るはめになった。いやあ、そのシーンを今でもハッキリと覚えてるってことは、やっぱ相当怒ってんだろうなあ。……そんな風に、お別れもきちんと出来ずに別れてしまったせいで、その後YMOを積極的に聴くことは無かったんである。結局「浮気な僕ら」と「アフターサーヴィス」止まり。

そして今。10何年ぶりかの再会である。アルバムも「ソリッド・ステイト・サヴァイバー」「増殖」「BGM」「テクノデリック」とまとめ買い。そして、驚き。やっぱり相変わらず「ライディーン」とかは好きではなかったんだけど(ポンチャック聴いた後だと、ポンチャックにしか聴こえないのが悲しい。イ・パクサのバカヤロ)、「テクノデリック」が凄かった。世界で初めてサンプラーを用いて作成されたこのアルバムは正に「テクノ」+「サイケデリック」。確かに全くポップスではない。当時のYMOファンがついていけなかったのも頷ける。ジャズ、クラシック、フュージョン、インダストリアル、ミニマル、アニミズムの融合。そして特筆すべきなのは細野さんのベースである。いやはや、これほどまでにファンキーだったとは。。。敬服するしかないっす。そしてそれらをニューウェーブの空気というか、グレーなカラーが覆う。リミックスのせいかもしれないが、音自体も今聴いても、全然古さを感じないこのアルバムが、世界中のアーティストに影響を与えたであろう事は容易に想像がつく。いやはや、すごいね。

ああ、早く「浮気な僕ら」買わなくちゃ。「以心伝心」歌わなきゃね。って、やばい、オヤジ化か?後ろ向きか、オレ?ま、いいや。


...... 2001年 05月 04日 の日記 ......
■[ NO. 50 ] 曇り
作曲活動前夜
人間、オフが出来ればやることはやるもんである。マイブラッディーフレンド、ガクセンセとのミーティングで活を入れ、一念発起MIDIに取り組む男27歳、独身。いやはや、何やってんだ?と思いつつも、久しぶりの創作「スペース」作り(笑:あくまでも環境作りってことで)にいそしむのである。

しっかし、なんでこうもまあ、DTM(デスクトップミュージック=宅録のことね)は敷居が高いのであろうか? これにはまず、マニュアルがとことん分かりづらく作られているってのが理由だろうねえ。読んでも専門用語バリバリで分からんもんなあ。大学1年の時に、今はセブンイレブンの店長orエリア統括部長にでもなってる作道氏から、YAMAHAの「QY-10」をゲットしたところから始まるMIDI人生。いや、高3の時の学園祭テーマソングでリズムを打ち込んだのが最初か。もうかれこれ10年やってるってのに、今一つ分からないのだよなあ。

でもまあ、その頃はハードウェアだった音源も、今じゃソフトになって、パソコンと鍵盤をつなげば音が出せちゃう時代だもんね。ちょっと追いかけてなかったんで全然ついていけないや。……何で音楽作る環境設定するのに、ここまでやることが多いんじゃ!? ムキーッ!! ま、抑えて、抑えて。

悪戦苦闘すること2時間。やっと音が出た(汗;)。USB-MIDIポートをPCに認識させて、ヴァーチャル音源の使い方を覚えて、OMSの設定をし、シーケンスソフトのLOGICと同期させる(知らない人には何を言ってるのかさっぱり分からないでしょうが)。。。ああ、脱力。でもまあ、グランドピアノの音が自分の音楽に加わるってのは、やっぱり素敵なことだよね。

もとはといえば、このHPだって、音楽をアップするためにこさえたのに、気が付けば結婚写真館になってる有様(笑)。それはそれでいいんだけど、やっぱり初心忘れるべからず。必ずマイソングをアップしてみせまっしょい。まあ、出来た作品は作品で気違いっぽいのだが。頑張りマフ。


...... 2001年 05月 10日 の日記 ......
■[ NO. 51 ] 曇りのち雨
さらば、モラトリアム?
今日は久しぶりに会社をサボった。といっても元気でビンビンなのに、って訳ではなく、このまま会社行ったらちょっと大変だな、ってくらいの体調だったから。眼精疲労だと思うんだけど、目から疲れがとれなくって、その関係で頭痛がガンガンしていた。そして、今27時。やっと復活の兆し。

そして今日は懐かしい友人から電話があった。大学の先輩ドラマーで、昨年の今頃も一緒にバンドをやっていた人。そう。昨年の今頃の僕は、まだ塾講師をしていたのだ。といっても、副室長で社員扱い。色々大変だったなあ。そして彼は白木屋でアルバイトをしてた。モラトリアムを謳歌、ああ、青春時代。その後、5月中にバンドは休止し、僕は出版業界に、彼は白木屋の社員として出発することにした。それはそのまま、モラトリアムの終焉を意味していた、と思う。今から考えるとね。

彼は今、白木屋立川店の副店長だという。休日もバイトの面接やら何やらで仕事三昧の毎日で、プライベートな時間はほとんど無いという話。でも、ほんの短い間の電話だったけど、話し方とか、何だかちょっと変わった印象を受けた。大人になった、というか、逞しくなった、そういう感じ。

仕事が人を育てるっていう考え方がとても好きだ。子供の頃から仕事に関わることで、社会適応のバランス感覚が自然に培われていくと思うのだけど、そこは、労働基準法とか、虐待とかが色々問題になるから「子供は社会とは隔離せねば、守ってやらねば」っていう意識が先行するんだろうね。単純に上に立つ大人のモラルの問題。ふう。でも、インターン制度をどんどん普及させて、まともなバランス感覚を持った人間がどんどん育てばいいのに、って思わずにはいられない。

特に、実家の近所でガソリン放火殺人事件なんかが起きるとね。気が滅入る。ああ、何だか変な殺人事件ばっかり起きるね。そんなニュース見たくないんだけど、ふとしたはずみで目に入ってしまうんだよなあ。

あ、そういえば、近所の「近鉄百貨店」が潰れた後には「三越」と「大塚家具」が入るらしいよ!? しっかし、どうなんだろ? 持つのかなあ……? あああ、ハンズかヨドバシになって欲しかったのになあ。ちぇっです。


...... 2001年 05月 11日 の日記 ......
■[ NO. 52 ] 曇り
オドロキッ
いやはや、ビックリした。
23時30分に仕事が終わり、酒息まみれの井の頭線で不細工カップルの猥褻物陳列地獄に挟まれながら、ブンブンサテライツの変拍子に乗って辿り着いたマイスイートホーム、酔舎。到着は25時。

ふと気が付くと東北訛の会話が響いて、弘前で起きた「武富士放火強盗殺人事件」の話が飛びだした。普段はシャイボーイな僕も思わず「それ、家の近所っすよ」と抑え気味のテンションで横槍を刺した。すると、そのグループの女の子が弘前出身だという。「きよちゃん」と呼ばれていたその子は「オレ、和徳小学校っすよ」というオレの言葉に身を固くした(ように思えた)。「年、いくつ?」「28」。その会話で僕は全てを悟った。「ヤマダキヨコっしょ?」「サイトウコウ?」……「ビンゴッ!!」。

あらあらナント、僕が足繁く通っていたそのお店には、小学校、高校と同学年で顔見知りだった女の子も足繁く通っていたのである。。。いやあ、マイッタ。なんつう偶然だ、これ? 聞けば、ヤマダさんは一緒に来てた男性と年内に結婚するそうで、一緒に乾杯することとなった。

しかし、ここは弘前ではないのよ? 東京は吉祥寺の外れのロック居酒屋なのよ? ポリスがかかって、吉田拓郎がかかるのよ? ピンクフロイドだってかかるのよ? そんなところに何であんたが居るのさ? って、まあ、お互い同じ気持ちだし、そんな仲良い訳ではなかったんで、会話はセーブ。「じゃがたら」を読みふけるサイトコであった。

でもまあ、何かがあるんだろうねえ。ただの偶然にしちゃ、出来過ぎてるし。という訳で、僕はずっと居場所を探していた友人のトシマサの所在確認を依頼した。ヤマダさんはトシマサとは弓道部で一緒だったのだ。これでトシマサと連絡が取れれば、何か面白いことが起きるかもしれん。僕はトシマサをアーティストとして尊敬していて、なんかコラボレートしたいといつも思っている。彼とバンドをやったのももう6年も前の話だ。

とにもかくにも、結婚パーティーには呼んでもらえるよう約束して、店を後にした僕であった。いやはや、何だか怖い位である。


...... 2001年 05月 12日 の日記 ......
■[ NO. 53 ] 晴れのち曇り
渡辺えり子「宇宙堂」
今日は渡辺えり子の新しい劇団「宇宙堂」の旗揚げ公演を観に行った。演目は「星の村」。渡辺えり子の書き下ろし作品だ。2時に目覚め、掃除、洗濯、銭湯で身を清めた後、相棒のシンと待ち合わせるべく下北沢は「ザ・スズナリ」へと向かった。

普段からあまりメジャーな芝居を観に行かないせいもあってか、スズナリに入るのは今回初めて(果たしてスズナリはメジャーなのか?)。前売りなんて買ってる訳もないから、当然当日券。通路に座る形の座布団席で観ることになった。

感想。これはもう、みんなプロな訳だから、発声、活舌、歩く時の音なんかは全く気にならない。特に、「もたいまさこ」さんの声といったら……小さい声なのに恐ろしいほど良く通る。これがプロなんだよねえ。参りました、はい(個人的には「内野 智」さんが好き)。後は、場面転換のアイデアがとても勉強になった(って別にオレが芝居を作る訳ではないんだけどさ)。特に、最初の農村の場面で男たちが倒れ、西欧資本主義が流入してくるくだりのシーン作りは、とても詩情あふれていて印象に残った。

内容的には、渡辺さんの私小説というか、心象風景を描いた抽象画という印象で、好感が持てた。同じ東北出身だというせいもあるのだろうけど、彼女の都会や文明に対する視点には共感できる。ただ、複数のテーマを盛り込みすぎていて、焦点がボケてしまった感じがした。日本が近代化していったのは、明治以降であって、決して第二次世界大戦後ではないし、携帯電話やインターネットの普及によって、コミュニケーション不全ばかりが起こっている訳ではないと思う。もっと、一つ一つのテーマを丁寧に分けて大事に扱うことで、私小説から広がることが出来たのではないかと考える。

あと、農村・農業という立場は必然的に機械化に進まざるを得ない側面を持っているのだから、近代文明批判を展開しようとするのであれば、どうしても矛盾が生じてきてしまうのではないか? 日本の原風景というのであれば、縄文文化、モンゴロイド文化という切り口から展開していった方が僕的にはしっくりくる気がした(多少ファンタジーになってしまうのだろうが)。

それでも、『劇団3○○解散当時、もう芝居はやめて歌手活動に専念しようと思った。歌手なら一人でテープレコーダー片手に、市町村を歌って回れると思いこんだのだ。(折り込みチラシより)』という、かなりぶっ飛んでる46歳の演劇少女を応援してみたいと思った次第でした。んはっ。


...... 2001年 05月 15日 の日記 ......
■[ NO. 54 ] 晴れのち曇り
あめ
夜中。ヨナカ。

終電前に帰れたんで、久しぶりに吉祥寺バーのカレーを食いたくなって行ってみた。吉祥寺バーは、知る人ぞ知る穴場中の穴場。毎日マスターが変わるのも御愛嬌。で、火曜日に行くのは初めて。

…しかあし、そんなに世の中甘くない。カレーをやってんのは金土日だけなんだとさ。

がっかりして、近所にオープンした朝4時まで開いている中華料理屋に行ってみる。ってまあ、それほど書くこともないのでやめにしよう。

ヨナカに降り出す雨には、何だかツライものがあるね。
ふう。まあ、こんな日もあるさ。


...... 2001年 05月 16日 の日記 ......
■[ NO. 55 ] 曇りのち雨
入稿終了。
やっと6月号の入稿が終わった。。。

新製品が3ヶ月連続で発表されて?、もう、疲労困憊。
これがソニーみたいなカリスマメーカーだったら、まだ救いがあるんだろうけどね。どう考えても売れないんじゃないか、って思う商品に対して力を注ぐのは、ちょこっとツライ。でもまあ、勉強、勉強。しかし、ソニーの広告は、やっぱりスバラシイよ。計算されつくしてる、というか、日本のトップだな、って思います。シャープなんて、下の下。。。シャープ関係者の方、御免なさい。気を悪くしたら、僕を雇ってね、なんて(笑)。

さて、今日は会社近くの(恵比寿)奄美大島の飲み屋
さん「大吉」で酔っ払った。実は今も意識がモーロー。最後にサービスで出されたハブ酒で完全にノックアウトです。まあ、エロビ返すために吉祥寺駅からサンロードをダッシュしたのも命取りかと(笑)。。。

奄美出身の「大吉」さん(名字ね)のめいっこだか、いとこだかに、30代の美人さん(独身)が居るそう。冗談で「今度紹介して下さいよ」なんてみんなで言ったら、軽く断られた(笑)。って言いながら、客寄せのネタだったりしてね。

んでも、このお店のゴーヤチャンプルーは絶品。ゴーヤの苦みが群を抜いているでございます。あ、付け加えると、ハブ酒もスゴイね。。。本当に、胃がムカムカします(涙)。

おやすみなさい。


...... 2001年 05月 17日 の日記 ......
■[ NO. 56 ] 曇り
銭湯礼賛
銭湯みたいな広い空間で裸になってボーッとしてると、脳みその血の巡りが良くなってくるのか、色んな考えが止めどもなくあふれてくる。いや、これホントリラクゼーション。学生の頃は心理学専攻だったから、催眠誘導とかリラクゼーションとか色々試したけど、僕にとっては銭湯がかなり癒しスポットだ。

今日は、女湯の出口で正座したまんま動かない中年女性がいた。赤いストッキングをはいて、派手なシャツを身につけているところから察するに、風俗系の仕事をしているんだろう。夜中12時。焦点が合っていない目と、小さく丸められた背中と、痩せぎすな身体は、とても悲しく、寂しく見えた。

あるいは僕も一緒なんだと、かなり自虐的に思いを巡らす。一人で、先行きが不安で、夜中に銭湯通いをしている(笑)。でもま、一方ある意味、みんなそうなんだと思うのだけど。明日がどうなるかなんて本当は分からないのに、明日はこんなことが起こるんだろう、って無意識に予測をつけて生きている。子供の頃はそんなじゃ無かったのにね。明日は世界が変わるんじゃないか、って思いながら毎日が過ぎていったような気がする。時間は長く、世界は無限だった。リピート無限大。

なんて意識が温められた血と一緒になって、脳みそをグルグルグルグル回るんである。はっと気が付くとのぼせてたりするんである。石鹸がつるっと滑って、反対側の人の股間の辺りで止まったりもするんである。お互い気まずい感じで「あ、スミマセン」なんてね。みんなボーッとしてんだよね。

いやあ、銭湯はやめられない。みんなはなんで銭湯行かないのかね?
僕には理由が分からなかったりするんである。


...... 2001年 05月 18日 の日記 ......
■[ NO. 57 ] 晴れのち曇り
光ファイバー
光ファイバーは一本の繊維の太さが125ミクロンで、ゲルマニウムと石英ガラスで作られているんだそうな。。。光信号を遠くまで伝達する必要があるから、その透明度は理論上70キロメートル先まで見渡せるんだとか(週刊アスキーより)。

今になってようやく、ブロードバンドの波がやってきてADSLが持てはやされているけど、その裏にはやっぱり、上みたいな技術があるんだよねえ。文系で物理化学がちんぷんかんぷんだった僕には、ケーブルの作り方すら想像つかないよ。。。そんな技術をシコシコ開発している研究者の方々に、感謝!! ついでにお疲れさまっ to 某S社で携帯アンテナの技術開発にいそしむ友人へ。

ゲルマニウムといえば、花村萬月の「ゲルマニウムの夜」ってのがあったけど、なかなか良かったような記憶があります。内容は忘れちゃったけど。


...... 2001年 05月 19日 の日記 ......
■[ NO. 58 ] 晴れのち曇り
加藤 鷹
今日は吉祥寺サンロードにある「ブックスルーエ」の前で、AV男優の「加藤 鷹」さんを見た。タカさんと言えば、日本人男子で知らないヤツは居ないであろうAV界の「潮吹かせ王」だ。もちろん、あっしもかなりお世話になっている。

どうやら今日は彼の本のサイン会らしく、彼の元には長蛇の列が出来ていた。行列に並んでいるのは、ヤンキーからオタク風情、いちゃいちゃカップルまで何でも有り。ここから彼の人気のほどが伺える。

しかし、AVが登場してから20年近くが経とうとしているが、誰が「AV男優が真っ昼間から商店街でサイン会をする」なんて事態を予測していただろう? AVは、SEXは、アンダーグラウンド文化ではなかったのか? 遠くにありて思うものではなかったのか?(笑) ……どうやらいつの間にか時代は大きく変わっていたみたいだね。もともとSEXは最も強力なエンターテイメントの一つだったってだけか。。。

そしてAVで育った連中が、世の中の中心になろうとしている(僕も含めてだけど)。さてはて、これから一体どんな文化が作られるんだろう? CMとかは、ガンダムとか、焼き直し、パロディーものが多く目に付くけどね。そして10年後、20年後には、インターネットとゲーム、携帯電話で育った子供たちが世の中の中心になってくる。ふう、何だかヘヴィーそうだなあ。

僕も、映像体験と知識だけで、生身の体験や感動が近頃不足してるなあと、何だかちょっと不安な今日この頃である。


...... 2001年 05月 20日 の日記 ......
■[ NO. 59 ] ぴーかん
君に、胸キュン。(爆)
いやはや、やはりDTMは面倒くさい。相も変わらず、ONKYOのMSE-U77と格闘してる週末なのだ。そして今日のテーマはデジタル入力! MDのオプティアウトとMSE-U77のオプティインをダイレクトにつないで、パワーブックにバンド時代の音源を取り込んでしまおうって企画だ。

昨日の内に、オプティカルケーブルの丸型を角型に変換するコネクタはゲット済みだし、抜かりなし! さあ、やるべ、とMDプレーヤーのコネクタを見ると……グワーンッ! オプティインしかねえじゃん。。。入力だけで出力できねえじゃん。。。ダアアアッ! ってことで企画倒れ。いやあ、頑張ったのになあ(何を?)。WEB上に音楽データをアップするのがまたグーンと遠のいた瞬間であった。。。

しょうがないから、CDデータをオプティカルケーブル経由で取り込めるかの実験に変更。これは簡単だろ? と思ったら、パワーブック側から音が出る気配が全くなし。おもむろにマニュアルに目を通す。なになに、「コピーガードがかかっているCDは読み込みが不能」とな。そりゃそうだわいな。えーっと、今CDプレーヤーに入っているのは、ジョンスペ奥さんバンド「ボス・ホッグ」。こいつにはコピーガードなんかかかってない気もするけどなあ、なんて思いながら、昨日ゲットしたレゲエキーボーディスト「ジャッキー・ミットゥ」(←最高よ!!)にチェンジしてみる。いくら何でもこれは大丈夫だろ、とか思ったら、やっぱりダメ。うんともすんとも言わない。

その後、「サウンド」コンパネやら、音編集ソフト「Peak」の設定を色々いじること2時間。でも、やっぱりダメ。。。結局頑張ったって、MDから音を取り込めないのに、何をオレはここまでやってるのだ? とか自問自答しながら、CDプレーヤー側の「音飛びガード」をオフにしてみた。。。「♪ギャイーンッ!!♪」……音、出たよ。。。何だよ、そんなとこに落とし穴かよ。。。そりゃ、発見できませんよ、トホホ。なんて思いながらも、灯台モトクラシーを実感し、DTM(ってレベルの話じゃないんだけどさ)の敷居の高さを恨むのであった。

脱力し、ムダにした4時間近くを思い、赤いきつねをすするサイトコであったが、オーケー。今日ついにYMO「浮気な僕ら」をゲットしたのである。「胸キュンッ!」である。それでも、タワー、レコファン、ディスクユニオン、新星堂とハシゴしてやっと見つかるのはどうかと思うけどね。。。ああ、ベース欲しいなあっと。


...... 2001年 05月 21日 の日記 ......
■[ NO. 60 ] ぴーかん
記憶喪失
僕は、酒が過ぎると記憶を無くしてしまう。高校の頃はそれがとっても怖くて、次の日とか人に会うのが嫌だったりした訳で。まあ、精神的にも不安定だったから、自分が何をやらかすか分からなかったってのもあるんだけどね。「電話かけるから10円貸して」って言ったつもりで「筋肉かけるから80円貸して」って言ってたり、「股開いて酒飲め」とか全く訳分からん言葉を一杯口走っていた気がする。「オマエのダンスをおどれー」とか(笑)。

でも、大人になってから(24歳頃か?)、記憶無くしても、そんな無茶はしてないって分かってから、もう酒に身を任せる人生。時には意味不明な言葉とか無礼な振る舞いとか器物破損とかするけど、まあイイヤ、みたいな。ちゅうか、周りはやっぱりメーワクなんだろうけど(スンマセン)。

そして、本日も記憶を飛ばしてしまいました(笑)。

デザイナーさんの引っ越しパーティー@渋谷に行ったんだけど帰りの井の頭線で意識不明(笑)。気が付くと電車を途中下車していて、道路を歩いていた(恐らくは環八?)。歩道橋の上から車をボーッと眺めていたような気もしないでもない。しっかし、タクシーに乗ろうなんて発想が無かったんだろうけど、そこから吉祥寺まで歩き始めたという。。。ちゅうか、本当にアホ。まともな頭だとそんな距離、歩けません。それでも歩いたんだろうね。途中、誰かに電話をかけようとしてたんだけど、酔っ払いなんで電話の操作の仕方もできませんでした。幸いなことに発信履歴はゼロ(ホッ)。

で、フラフラ、ボロボロになりながらやっとの思いで吉祥寺到着。もはや何時だったのかさっぱり分からず。んで、おもむろにホープ軒に入ってラーメンを食ってたという。もう、とにかく意味不明でした。おかげで、足は痛いわ、具合は悪いわ、いいこと無し。日記にでも書かないとやってられませんわ。

でもとにかく、パーティーで振る舞われた「タイ料理」は絶品。めっちゃくちゃ美味かった。新大久保の「プアンタイ」ってタイ料理屋のマスターの料理だったんだけど、ほんとおいしかった。気になる人はぜひ、行ってみて下さいね。


...... 2001年 05月 22日 の日記 ......
■[ NO. 65 ] 曇りのち雨
思考の中へ
今日は日経さんインタビューに同行した。ライターとして原稿起こしをするためだ。この仕事、あああ、学生時代に趣味でやっとけば良かった、って思うことばかりだったりするんだよね。インタビューして原稿起こすなんて作業。でもま、後悔先に立たず。

でもま、色々学べる事があったんで良かった。

1.インタビュー前にページ構成をよく考えて、自分の頭の中に会話の流れのイメージを作り上げておく。つまりは、予習、情報収集をしておくってことだね。あ、当たり前か。

2.インタビュー原稿には、対話形式と引用形式の2種類があるってこと。

3.経済系のインタビューを原稿に起こすときはスクラップ&ビルドで、文字数に合わせて内容を再構成する場合が多いってこと。

こんなもんかな? 来月号ではインタビューして原稿起こすぞと決意を新たにする次第DEATH。

interviewって言葉は、その単語通りに、相手の思考の中に入っていくっていう所から来ているのかしらね? スキャナーズみたいなもんか?


...... 2001年 05月 27日 の日記 ......
■[ NO. 61 ] 曇りのち雨
bad atmosphere
ニュースで扱っていた東村山市の西武線列車内で起きた殺人事件。被害者の親父さんのコメントが凄く印象に残った。

「まだ犯人を恨むところまではいっていない。それよりも、今、日本中に満ちているこの不穏な空気を恨みます」

のようなことを喋っていたと思う。ああ、やっぱりみんなそう感じてるんだよね、と思った。加害者よりも、時代の空気を恨む。そう、なんかどす黒い空気が充満していて、誰でもその空気に簡単に飲み込まれてしまうような危うい感じがある。加害者、被害者、誰しもがそのどちらにもなる可能性がある。

こりゃ一体何なんだろうか? 狭い土地に人口が密集しているストレスのせいなのか? それとも大地震とか天変地異前の生物学的パニック状況? 戦後の教育方針のせい?(これは最初から間違っていたけど) 親子三代にわたる化学調味料摂取のせい?

宮崎勤で萌芽した(ように思える)憎悪の種は、神戸須磨の酒鬼薔薇で完全に開花し、今、日本全国にその種子をばらまき続けている。シリアルキラー、暴徒、ストーカー。弘前で起きた放火強盗殺人事件の被害者の一人は、どうやら高校で同学年だった子の兄弟らしい、という情報が母ちゃんから伝わってきた。

僕は神社でお祈りを捧げるとき、僕に関わる全ての人に、そのような危害が及ばないように、といつも祈っている。


...... 2001年 05月 29日 の日記 ......
■[ NO. 64 ] 晴れのち曇り
マッカッカ元帥
今日は昨日順延した特集ページの九十九里ロケだ。朝7時に新宿駅西口ロータリーに集合。ね、ねむい。究極に眠い。しかも、着いてみると、ロケバスらしきもんが3〜5台は停まっている。どれがどれやらわからんす(泣)。そうこうする内に、クライアントさんも到着してしまったんで、代理店マンよろしくロケバス確認を。そしたらまだ着いていないとのこと。聞くトコロによると、新宿西口はロケバス集合のメッカだそうな。知りませんでしたね、そんなこと。そういやモデルさんみたいな人も多いやね。

約3時間の移動後、九十九里に到着。薄曇りでピーカンとはいかない空模様。それでも撮影は始めねばね。イヌの飼い主なんつうエキストラ役でモデルさんと絡んだりしつつ、撮影は順調に進む。時折晴れたり曇ったり。

と、気が付くと、デザイナーのリュウジさんの顔が真っ赤に変色してるではないデスカ。すわ、酔っ払いか!? と思ってみたものの、んなわきゃないので、こりゃ日焼けに違いないと我が腕を見て阿鼻叫喚。マッカッカである。うへえ、夏先取り、ラッキーと思ったのが大間違い。撮影が終わる頃にはほぼヤケド状態で痛みが走る始末。我が顔見てさらにビックリ、鼻を中心にこんがり焼け、サングラスしてたから逆パンダ。オーマイガッ、これじゃモデルさんとの熱い恋も始まらんぜ(って始まるわきゃないのだが)と肩をガックリうなだれるサイトコであった。

いわゆる土方焼けしてしまった訳だが、クライアントさんのアドヴァイスでエーザイ製薬のアロエジェルを購入。銭湯上がりに恥も外聞もなく塗りたくる男27歳独身。でもこれいいね。痛みが収まるよ。

しかしまあ、5、6月の紫外線が強いことは聞いてはいたものの、これほどまでとは思いませんでした。お見それしました、おてんとさま。お肌の曲がり角をとうに曲がってしまったみなさんも気を付けてね(笑)。


...... 2001年 05月 30日 の日記 ......
■[ NO. 62 ] 曇りのち雨
逃避
はて、24時。フロム会社である。一人でポツーンである。
ましてやエロ画像を見るような体力は無いのである。

先週の火曜日に日経パソコンの編集長にインタビューした原稿を明日までにあげなくてはならないのである。。。(泣)

それはそうと、初めてのものはうまくできないのよね。
僕は目玉焼きをとっても美味く作れるけど、
それも最初から出来た訳じゃないのよね。
酒を美味しく飲めるまでに優に10年はかかってるのよね。
だからこの原稿をあげるのにも10年位はかかるかもね。
そうだ、そうだ。まだまだ時間はたっぷりあるもんね。
一眠りすっかな。

なんてのがさっきからグルグル回ってるのよね。
原稿、ちっとも進みませぬ(泣)。誰か助けて。


それはそうと、「アンデスメロン」の語源は、「安心ですメロン」の略だと、ウルフルズのヘアメイクもしていた大作さんから聞いたのだけど、それって本当なのかしら?
回答求む。


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